現役就労移行支援員のよしころろです。事業所や公式のサイトではお伝えできない本音やぶっちゃけた話等知らないと損する情報をブログで発信しています。
こちらの記事では、「障害がある」と「障害をもつ」どっちの表現が正しいかをお伝えします。
個人的には「どっちでもいいじゃん。」と思ってしまうのですが、実は正しい表現とされているものが存在するのです。
障害がある?障害を持つ?
障害をもつと障害があるの違いは何なのか?
同じような意味合いの言葉ではありますが正しいのは「障害がある」という表現です。
ではなぜ障害をもつという表現はだめなのでしょうか?
障害児を持つ家族が新聞社に投稿したことにより、各新聞社が自粛をしたそう。
「障害を持つ」という表現だと、自ら障害を持っているように聞こえる。
「障害を持つ、持たない」と選べるわけではない。好きで障害をもっていないので差別に当たるということでした。
そこから、各新聞記者で表現が自粛、「障害がある」に統一され、文部科学省でも今となっては「障害のある」という表現に統一されるようになりました。
こういった歴史から、障害をもつという言い回しがタブーとされています。
「障害者をもつ」は差別用語なのか?
差別用語とは「他者の人格を個人的にも集団的にも傷つけ、蔑み、社会的に排除し、侮蔑・抹殺する暴力性を持つ言葉」とされています。
差別用語ではないです。まれに、差別用語なので使わないで!という方がいるみたいですがそうではありません。
メディアの自粛を受け、障害がある方と関わる施設でもそういった表現の統一が図られてきたと思われます。
「障害をもつ」という表現で誰かを傷つけてしまう可能性があることから「障害がある」という言い回しに変えることで傷つけないですむという判断です。
「障害がある」「障害をもつ」に対する個人的な考え
「障害をもつ」「障害がある」どっちでもいいじゃんって思っています。
「障害をもちたくてもったわけじゃない」という発言自体、「障害」に対してネガティブな否定的なイメージをもっているからこその発言に見えませんか?
「障害を主体的にはもちたくない」「障害はないほうがよい」という気持ちがあるのでしょう。
確かにメディアで「障害をもつ」が自粛された1990年代はまだまだ福祉サービスが発展しておらず、障害がある方は家族が面倒をみる生きずらい世の中だったと思います。
「障害をもちたくない」という気持ちは、障害を持っている人を否定します。
相模原障害者施設殺傷事件のようなことが私はもう二度と起こってほしくない。
誰かを傷つける一言を避ける理由で自粛したこの言葉で他の誰かを傷つけるにつながっている気がしてしまう気がして私は怖さを感じています。
だからこそ、深く捉えないでなんでもいいじゃんというのが私の意見です。
「障害者差別解消法」に関わるような障害を理由に何かの権利をはく奪することはよくないです。
しかし「障害がある人には優しくしよう」という「無条件に優しくしよう」という特別扱いは個人的に嫌いです。
障害があってもなくても、同じ人間であり、優しくする背景には「かわいそう」「大変そう」「つらいだろう」などの辛い思いをしているという前提があるように見えます。
でも実際はそうでしょうか?
障害があってもなくても一緒!でも障害が理由で困っていることがあったら気軽に助けを求められて助けてくれるそんな世の中だと思ってもらえたらいいな!
ただ、障害を持つと障害があるの違いで傷ついている人がいるかもしれないから正しい使い方については知っておきましょう!