現役就労移行支援員のよしころろです。事業所や公式のサイトではお伝えできない本音やぶっちゃけた話等知らないと損する情報をブログで発信しています。
こちらの記事では、私自身がきょうだい児という障害をもった子の兄弟姉妹であることから、大人になった今過去のことを振り返ってお伝えしようと思います。
きょうだい児である私の今までの人生
私は知的障害を持った兄弟がいます。ダウン症なので適度にコミュニケーションはとれますが彼が何をしゃべっているか意思疎通できないときもあります。
アラサーになった今でこそ障害を持った兄弟との関係は良好ですが、思春期はいろんな想いがありました。大人になった今振り返ってみます。
私の障害を持った兄弟のことを「まさふみ(仮名)」としてお話しします。
父は2時間かけて通勤しておりほぼ家にはおらず、母専業主婦。私たちの兄弟は祖父と母に育てられたとも言えます。
父は厳格でしたが、祖父は唯一の女の子である私にでれでれ、母は楽天的でなんでも受け入れてくれるような性格だったこともあり家庭内ではのびのびとすることができました
きょうだい児の私の小学生から中学生のころ
わたしとまさふみは小学校と中学校が一緒でした。
専門的な教育をする特別支援学校に行く予定でしたが、どうしても遠いので母が学校に交渉して同じ小学校と中学校に通えるようになったのです。
小学4年生になったぐらいの私はまさふみの存在が他とは明らかに違うことを理解し始めます。
月曜日の全体朝礼の際、全校生徒が集まっているなか、静かに校長先生の話を聞いてる生徒をよそにまさふみが走り回りまるのです。
「こら!静かに座ってなさい!」と追いかける先生とそれを楽しんでるのか面白がってるのか笑いながら走るまさふみ。
毎回私はこの全体朝礼が嫌いでした「お願いだから先生の言うことをきいていますように!」と祈りながら校庭にでていったことをよく覚えています。目立つまさふみの存在が恥ずかしくて心臓がバクバクでした。
朝礼の時は体育座りで顔をうずめてできるだけまさふみが目にはいらないようにしてた気がします。
私は当時小学校ではとっても控えめな性格だったので、クラスメイトに「おい!お前の兄弟がまた暴れてるぞ!」なんて言われた日はもう最悪でした。
「知らんし」とかどうでもよい対応を見せていましたが、心臓はバクバクで、「その話は言ってこないで!!!」と思っていました。
中学校になってからも、学校の授業でクラスメイトの前で発表していた時に、理由は忘れたんですが「お前の兄弟は何人で何をしているんや?」みたいなこと先生に聞かれたことがありました。
その時も一気に緊張してどう答えたらいいのか分からなくなりとりあえず「え、なんかよくわからないです」と濁してその時が早く終わるのを祈りました。「さらにもっと聞かれたらどうしよう」なんて恐怖もあったりしてドキドキハラハラでした。
私の中でまさふみの存在はできるだけ隠したい存在だったのです。
知っている人は知っているんですが、まさふみのことをみんなに伝えたら、どんな風に思われるんだろうという恐怖が常にありました。隠せるなら隠し通したい。
自分からのカミングアウトなんて無理!
そして家では反抗期まっただなか・・・
当時まさふみの存在はストレスで大嫌いでした。なので、「こっちこんといて!」とか「あっちいって!」とか「一緒の家族と思われたくない!」とひどいことを言っていました。
身近に、障害があるような家庭がなかったこともあり、人と違う境遇であることを呪いましたし短気で家で暴れまわっていました。
私がまさふみをいじめるので母はまさふみを守り私を怒ります。母に本気でかみついたこともありますし、私自身が暴れまくるが故に父にぼこぼこにされたこともあります。
ストレス発散の方法が身内に暴言をはく、殴るけるしかなかったのかもしれません。
ちなみにイライラするので毎日学校から帰るとお菓子を1袋以上は食べていました。
なので小学6年生では女子の中で1番か2番かくらい太りましたし、自分が大嫌いで鏡を見ていませんでした。(部活を始めたら体重が半分くらいなくなったのでよかったです)
きょうだい児のわたしの高校のころ
周りがぽろぽろお付き合いをしはじめ、「私も彼氏が欲しい!」と思い高校2年生のころ初彼氏ができました。
付き合ってすぐにまさふみのことは言おうと思いました。
まさふみのことを言って嫌われたらいやだけど、言わずにいつか嫌われるかもしれないと思ってるほうがしんどいと思い早く安心したかったのです。
付き合い当初、電話で「ちょっと、言いにくいけど言いたいことがあるねんけどいい?」と話し始めたもののしばらく言い出せず・・・覚悟を決めてカミングアウトしました。
当時の彼は「全然いいよ!昔そういう子と一緒に遊んでたりしたで!」と言ってくれてとーーーーーっても安心できました。そのときは本当にうれしかったです。
当時の彼氏がまず受け入れてくれたからこそまさふみのこと受けれいてくれる人がいるんだと安心できるようになった気がします。
半年ほどお付き合いしたころ、家族に彼氏のことを紹介しました。
ダウン症の友達がいたと言ってたので紹介はそこまで緊張しなかった気がします(ダウン症の人だいたい顔一緒だからイメージつくだろうと思って)
紹介した際になぜかまさふみがテンションがあがって「おい!今からキャッチボールしようぜ!」なんて言って彼氏を誘って近くの川辺でキャッチボールをすることに。
当時の彼は優しく受け入れてくれてまさふみがあきるまでキャッチボールをしてくれました。
きょうだい児のわたしの大学時代
大学になるともうまさふみのことはバレません。いない存在も同然です。なので特に問題なくサークルで遊びまくる日々。合コンばっかしていましたね。
私はアルバイトと大学でほぼ家にいないことから、まさふみとの関係もお互い関与せずといった感じで仲が悪いということはなくなりました。
そんななか、なぜか羊水検査の講義が授業であったんです。その後、何名かでその話題になったとき友達が「障害者産まれたりせんから!」と言いました。
特に障害に偏見があってとかじゃなく、友達はノリで話をしていたんですが当時の私はすっごくひっかかり「いや、産まれるで!私の兄弟障害もってるから!」と初めて自分からまさふみのことを暴露しました。
自分からカミングアウトしたい気持ちになったのは初めてでした。
けどやっぱりいろいろ深くは喋りたくなくてごまかして違う話に持っていきました。
友達の「障害をもって産まれたりせんから!」という発言に対して、友達との関係を悪くはしたくないけどでも「言わなきゃ!」という気持ちになったんです。
初めてまさふみのことを守らなきゃみたいな(別に攻撃されてないけど)感覚になりました。
そのころから、「障害者差別には反対でまさふみのような人たちのことは悪く言われたくない。けどそんな自分はまさふみのことを周りには話せない。秘密にしている。待てよ・・・私が1番の差別をしているのでは?」
という私の中での矛盾に気づき自己嫌悪でぐるぐるしていました。
そこから、障害を持っている子供が生まれる可能性はだれでもあるし、障害者の存在をもっと知ってほしい!(特に知的ね)差別しないで!!という気持ちが極限に・・
若いパワーはすさまじく
- 自分の学科とは関係ない福祉のゼミにいりびたり差別解消にはどうしたらいいか考える
- 東京の福祉教育に力入れている学校見学にいっていろいろ聞く(私の立場謎)
- A型作業所の見学に複数いって、障害持った人がどう暮らしているのか聞く
- 障害理解がすすむためのボランティアに参加して差別がなくなるにはどうしたらいいかき聞く
とかとか
謎にいっぱい動きました。今思うと恥ずかしいけど、当時はなぜか使命感に燃えてた。マジ謎!!
就職活動では、一度A型事業所を自分でつくろうかとまで考えていました。
会社をつくろうみたいなセミナーにでて、たまたま隣の席が同い年のバンドマンで変な恋愛もしました。彼はDV男でしたがしばらくは離れられず、そのぐらい当時の私は狂っていたんだと思う。良い意味でも悪い意味でも。
きょうだい児のわたし大人になってから
仕事をいろいろしましたが、まさふみのような障害を持っているひとたちのこと知りたい、勉強がしたいと一度社会にでてから再度学校に通い「社会福祉士」の資格をとりました。
今は福祉の世界で働いていることもあって、まさふみのことを暴露する抵抗は減りました。
障害のある方の就労支援の仕事をするにあたって、きょうだい児であるということは今までと違って強みにもなっています。
ご家族などで障害があることを引け目に感じているような様子があればきょうだい児であることをカミングアウトすることでとても信用してもらえることが多いです。
福祉の仕事をしていると障害がある方の家族が同じように苦しんでいるのがすごくわかりとてもエネルギーになっています。
きょうだい児の恋愛結婚について
大人になった私は、人並みに出会いの機会を作り恋愛をして人並みに結婚できています。
きょうだい児は結婚しずらいなんていいますよね。小さなころからいろんなチャレンジをして自信をつけてきたこともあり、障害について理解がない男性は恋愛対象外でした。
好きな人ができたらまずきょうだい児のことを伝えていました。それでも付き合う覚悟があるのか?と私なりに考えていたんだと思います。
そして今の旦那と結婚したのですが、旦那の家族の親戚には障害がある人がいましたしきょうだい児というと数少ない存在のように思えてしまいますが、言わないだけで意外とたくさんの人がきょうだい児はいるもんです。
きょうだい児というと、どうしても恥ずかったり目立ちたくなかったりついつい消極的になりがちでどうしても自信をつけるチャンスを逃しがちですが、私はたまたまエネルギッシュな性格だったこともあり無事結婚することができました。
結婚式ではダウン症の兄弟とともにフラッシュを浴びる場も!今では積極的にカミングアウトや目立つ場に連れて出るようにしています。
おわりに
今振り返ると、思春期は超荒れていた私ですが、自分の気持ちを家庭内でキレながらも両親に発信で来ていたことはよかったなと思っています。
実体験からきょうだい児は社会で辛い経験をする分、前向きに生きるには家庭内ではのびのびできる環境が必要だと感じました。
今「きょうだい児」という言葉がどんどん知られてきました。きょうだい児の支援も広がっておりきょうだい児にとっても生きやすい社会ができつつあるのでしょう。
ただ、私が過去を振り返ったとききょうだい児支援は欲しかったか?というとNOです。
環境がよかったからなのかもしれません。きょうだい児だから辛いと思うことがあまりなかったのです。
もちろん、辛い思いをしてきた過去から必要性を感じて支援が広がっており、家族関係の不和や両親の子育ての姿勢によっては非常にきょうだい児の支援が必要です。
両親から障害がある兄弟の世話を強要されたり、将来はお願いねなんて言葉をかけられて育っていたらこうはなってなかったと思います。
両親の理解のなさから辛い思いをしている人がいると思うので、必要な人に必要な支援が届きますように!
Sibkoto | 障害者のきょうだい(兄弟姉妹)のためのサイト Sibkoto(シブコト)
全体に公開している何名かの投稿をリンクではっておきます。
色んな思いがあることを知って頂ければうれしいです!
きょうだい児でも恋愛も結婚はできます。障害がある兄弟がいることを強みに、きょうだい児であることを受け入れてくれるパートナーは絶対います。
きょうだい児だからといって卑屈になる必要はないですし、自分がどうありたいかどうなりたいかが大切です。